気分が良い時用

個人メモ

ペンギンハイウェイの感想

この間の日曜日にペンギンハイウェイを見に行ったので感想を書きます。

おねショタ

はい。おねショタでしたね~~。良いおねショタでした。 個人的にはおねショタのカギを握るのはショタだと思っている(割と一般論に近いかもだけど)。というのも、「おね」の方はその年齢差からどうしても「教え導く役目」という教師的なロールを担わざるを得ず、結果としてキャラクターが類型化していくきらいがある。もちろんこの言説は今回ペンギンハイウェイにおけるお姉さんが没個性的なキャラクターであるかというとそうではなく、今作のお姉さんはお姉さんとしてのキャラクターがあり個性があった。しかしやはりある程度は先に生まれた分、その名の通り先生としてショタを教え導く立場を話全体で担わざるを得ないのは致し方なく、前述した類型化からは逃れられていない。 「そんなこと言ったらショタだって勝気か生意気か弱気なキャラで分類できるじゃねえか」と言われそうだが、まあそう言われればそうなんだけど、なんというか、こう、今回は違う気がしたんだよなあ…。そりゃアオヤマ君だって生意気ショタという言葉でくくれてしまうような気もするんだけど、やはりあの知的さが他の創作物のショタから一線を画しているような気がするんだよなあ…。このへん現状うまく言語化できない。書いてたら何か思いつくかもしれないので可能であれば後述したい。

アオヤマ君

自分ごとになるが、森見登美彦作品の長編はあらかた既に読んでいて、中でもこの「ペンギンハイウェイ」は2番目に好きな作品だ(どうでもいい話だが1番好きな作品は「太陽の塔」。あの冒頭の、サリンジャーのパロディから入る一連の文章を初めて読んだときは電車の中で笑いを抑えられなかった。ただ、あれは映像化してもあまり面白い作品にはならない気がしている。軽妙な地の文を楽しむ小説だからだ。でも四畳半神話体系は上手くアニメ化されていたし、なんとかなるものなのだろうか)。理由としてはアオヤマ君の存在に尽きる。あの知的さ!素晴らしい。勉強への取り組み方や実績に裏付けされた自身、そして自分のできることとできないこととを見分け適切に行動する能力(ニーバーの祈りスローターハウス5でも話に出てた)、いや~~めっちゃよい。意識が高いんだけれども、この意識の高さはまったく人を不快にさせない。むしろ見ているこっちの意識が高まった。この作品を俺が小学生高学年の時に見ていたら今頃は京大入ってチンパンジーの研究してたね。お姉さんとチェスしてるのもよい。というかチェスっていいね。小学生がチェス!めっちゃよい。やはり家庭なのだろうか。アオヤマ君のお父さんは医薬メーカー勤務らしく、アオヤマ君の研究者的マインドから見るにお父さんもおそらくそういった職に就いているのだろう。となればアッパーミドルの生活は約束されたようなものだ(と思うんだけどどうだろう。武田とかアステラスとかだったらそりゃアッパーミドルだろうけど、田辺三菱とかだったら研究職といえどそこまでもらえないのかな)。やはり親の年収と子の学歴には相関があると聞くし、知的さはそういったところから来ているのだろう。

着地点が見つからない

とアオヤマ君がいかに良いキャラかを書き始めるときりがないんだけど、結局言いたいことはこの話の魅力の9割はアオヤマ君にあり、もともとの彼の魅力をおねショタという構造が十全に引き出していると、そういったことが言いたかったのです。